総合人間学覚書
2006年3月16日
中谷英明
東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所

 総合人間学は、人間の知の包括的かつ根本的な見直しによって、現代世界にふさわしい確実で創造的な知の確立を目指す新しい学術である。

 自己を複製するものとして初めて地球上に現れた存在すなわち最初の生物は、ほどなく周囲の環境を感知する能力、そしてそれらの情報を蓄積する能力をも持つに至った。そこからさらにその情報を表現し仲間の生物に伝達する能力が現れる。
 環世界を認識として取り込み、それを記憶し、表現して他者に伝えるという、情報の「入−蓄−出」から成る「知」のこの基本的三部構造は、各部の機能が種により時期によって発達や退化をしたものの、例えば昆虫からヒトに至るまで一貫するものと捉えることができる。
 このような構造を持つものとしての知の進展を生物史において俯瞰した時、ヒトの知の特性がよりよく理解されるであろう。事実、動物行動学、霊長類学、脳科学、遺伝子学、一般言語学、進化生物学、進化心理学等はヒトの知のあり方を生物の極めて多様な知と対比して明らかにしつつある。とりわけ、ヒトの知として格段に発達した言語機能や大脳前頭前野の機能の形成過程と特性が明らかになりつつある。言語は、他の生物も多少なりとも同様の知を有しないわけではないが、ヒトにきわめて複雑な知力をもたらした。他方、ヒトの脳の前頭前野はヒトに固有の感情(思い遣り、責任感、自己抑制等)を作り出すが、他方、事故で前頭前野を失った人の言語能力にはなんら支障が見られない。
 例えばこれらが、謂わばヒトの知の、外部からの観察である。

 これに対し、最も古くヒトが何を感じ、考え、表現していたか、すなわちヒトの知の内容そのものが具体的に判明するのは、言語から成る世界認識の表明として最も古い、世界各地に残される神話を通じてである。近年ミヒャエル・ヴィッツェル教授 (ハーバード大学)らが開拓しつつある比較神話学は、およそ10万年前に作られた最古の神話が海沿いにオセアニアに伝えられ(5万年前)、少し遅れて(4万年前)ユーラシア全体に流布したようすを明らかにしつつある。
 他方、より新しい時代すなわち最近の5千年に関しては、諸文明の古典学、歴史学、人類学等が、口承や書写によって、あるいは芸術や宗教儀礼として伝承された人々の感情・思考を明らかにしている。一つの集団に蓄積された感情と思考、すなわち「知」は、やがて地理的、歴史的枠組みに応じて他の諸集団のそれとは異なる個性を持つようになり、遂には一つの文明に固有の常識を形成する。
 このように神話と文明は、近代以前の人の知を構成する2つの主要な要素と言える。

 近代の冒頭、デカルトは自然を利用し得る自然学(physique)の、人類の福祉に対する巨大な潜在力を指摘した。こうして自然学すなわち科学の応用によって科学の時代と呼ばれる今日の時代が始まった。これ以降、自然の特性は数量的に計測され、人類の福祉に利用されることとなった。◆1
 「量」という情報は最も探知・蓄積・伝達が容易であり、計量による実証と論理に支えられた科学および技術は、人類にとって巨大な福祉を実現すると同時に、現代では人類自身の存在を脅かすほどの力(核爆弾・地球環境問題・人間精神への影響等)も持つに至った。
 人類の知が卓越した科学技術力を獲得した現代世界ほど、未来社会の明確な構想が重要な意味を持つ時代は、かつてなかったと言える。使い方を誤れば自身を抹殺しかねない。適切に用いれば想像を絶する福祉が実現される。

 従って今こそ、現代世界にふさわしい確実な新しい知を形成することが枢要事なのである。
 未来社会の構想は、生物の伝統に則って、先ず環世界の認識を深めることから始めるべきであろう。現在、世界で何が起こっているかを具に知るということは、世界諸地域の経済・社会状況(奢侈と貧困、国際金融、飢餓、疫病、災害等の状況)、政治状況(紛争、民主主義、専制主義、政党等)、地球環境問題などの概要を知ることである。言い換えればそれは、種々の文明の精神伝統が息づいているこの世界に、科学技術が齎したもの、またとりわけ先端科学(例えば脳科学、情報科学、遺伝子学、ナノテクノロジー等)が齎そうとしているものを見極めることに他ならない。
 一方ではまた、我々すべてにとって望ましい生の種々のあり方を明確にしなければならないであろう。言うまでもなくそれは、望ましい世界に向かう正しい道を見出すために必須である。
 そもそも諸文明が構想した、生命力に溢れた個性的で豊かな生の多様なあり方は如何なるものであったのか。それらは生物の知の歴史の総体ならびに現代世界の諸状況と付き合わせる時、今日において如何なる意味を持ち得るか。
 大航海時代以来、西欧が一手に世界の情報を収集し、それをほとんど西欧のみの価値観によって体系立てて一つの知と成してきた近代人文科学の方法と概念は見直されなければならない。◆2 他の諸文明の視点を看過しないよう、すべての文明の多様な価値が、研究者の共同研究によって綿密に再検討される必要がある。彼らは直接対話を通じて、諸文明の諸価値と諸文明が実現した、あるいは実現したと称する福祉について知識を深めるであろう。
 他方、近年における科学技術力への過信は、「計量され得るもののみが我々の生にとって意味を持つ」という偏った考え方を広めている。
 あるいは、ほんらい常に自己を超越し続けるものであって相対的かつ時限的な真実のみを容認する科学を現時点において固定化し絶対視して、それ以外のものを非科学的とする非科学的科学主義が、その「絶対的真理」によって我々の知的、宗教的生活、ひいては(一消費者としての)市民生活そのものを支配することも危惧される。
 さらには、より重要なことであるが、脳科学や遺伝子学はほどなく人間の感性や人格さえ変え得る段階に達しようとしている。分子生物学は脳を含む器官の生成に取り組んでおり、人間の寿命が半永久的となる日もすでに夢物語ではなくなりつつある。
 究極のところ、我々は無菌の温室中での永遠の飽食と逸楽を望むのであろうか。あるいは逆に周囲の自然の力に任せた昔ながらの簡素な「古代人的生活」に回帰すべきであろうか(環境保護主義者や宗教者は時にそう主張するように見える)。そのどちらでもない、より均衡の取れた、生きるに値し、しかも諸文明の多様な伝統的価値観にもあまり違背することのない「豊かな生」はあるのであろうか。
 我々はよく考察しなければならない。この考察の後に、そして考察の結果を踏まえて初めて、実現すべき未来社会を構想することができるのではあるまいか。

 結論として、いま必要なことは、次の3点である。
 
(1)人類の知のあり方を外観と内容において、すなわち生物史的および歴史的に、再考察すること。再考察はとりわけ、一方では言語と大脳前頭前野に関わり、他方では神話と文明に関わるであろう。
(2)現代世界の諸状況と科学、とりわけ先端科学の成果を把握すること。
(3)上記の再考察と諸情報、とりわけ先端科学が実現しようとしていることを考慮に入れて、生きるに値する生とは何かを考究すること。この考究によって今日の人文社会科学のヨーロッパ中心主義は是正され、また近代科学に擬せられた全能性は修正される。そして人類すべてにとってふさわしい、全地球的な未来社会の構想が可能となるであろう。
 
 世界の諸状況の変化と科学の進展の速さ、ならびに迅速な対策の必要を考慮するならば、この再考察と総括の作業は、すべての関係諸学術の研究者の共同なしには、間に合わないであろう。これが「総合人間学」と我々が称する人文・社会科学の新研究領域が必要な理由である。
 未来社会構想そのものは、極端に言えば時々刻々更新されなければならないほど可変的なものとなると予想されるが、しかし、総合人間学は構想の「方法」を確定するであろう。
 理想的世界の実現を目的とする諸原則が確定されて初めて、我々は世界の諸問題に対処する最も適切かつ調和的な(効果的な、たとえ副作用があるとしても最も小さい)手段をとり得るであろう。
 総合人間学は「専門家の直接対話」をとりわけ重視する。それが最も信頼でき、かつ迅速な方法と考えるからである。5年以内に総合人間学は確固とした学術としての地歩を築くであろう。
 総合人間学は、人間に関する(内部ならびに外部からの観察による)包括的な知に基づくから、確実な知である。また生き方の新しいイメージを創り出すから、創造的な知である。それは生物の伝統、とりわけ人類のすべての文明の伝統を継ぐことなのである。

◆脚注

1「数量化」による世界観が13世紀以降ヨーロッパに確立されてゆく過程については次の書参照。アルフレッド・W.クロスビー著、小沢千重子訳『数量化革命 : ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生』紀伊國屋書店、2003年。

2 人文社会科学の脱ヨーロッパ化の必要性については、人間科学館(仏)=アジア・アフリカ言語文化研究所(日) 学術協力協定締結記念第2回総合人間学国際シンポジウム「諸文明から未来世界を構想する」(東京・2005年10月22日・23日、東京)におけるモーリス・エマール氏の発表「ヨーロッパの国家および市民のあり方再考−人文・社会科学の方法と概念の再構築のために」参照(要旨はAA研『通信』117号、2006年7月、2ページ以下にある)。