総括班研究「古典学の再構築」
    (領域代表 中谷 英明)

 
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緒言
 文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「古典学の再構築ー20世紀後半の研究成果総括と文化横断的研究による将来的展望ー」は、平成10年度から14年度に渡って延べ180人が参加して共同研究を実施した。

19世紀にヨーロッパで、ギリシア・ラテン、イスラエル、インド、イスラム、中国、日本などの古典を対象として成立した諸分野の近代古典学は、互いの組織的交流を欠いたまま今日まで発展してきた。これらの諸古典学がほぼ2世紀ぶりに連携し、共通課題に関して共同研究を行い、古典学の刷新を図る、ということが本特定領域研究の目標であった。

ここにその研究成果を、8巻の『論集』(総括班研究1巻、調査班研究7巻)に纏めて刊行する。

『論集』T巻の本巻は、共同研究全体を統括した「総括班研究」の報告書である。3部からなり、第1部は「「古典学の再構築」総括班研究報告」、第2部は「座談会「古典学の再構築」の総括と展望」、第3部は「諸文明の古典学史」であり、末尾に「牽引」として、『論集』全8巻とニューズレター『古典学の再構築』全13号の全執筆者と執筆個所を執筆者別に録する。

『論集』U巻〜[巻は諸古典学の共通課題に関する研究を実施した7班の調査班研究の報告書である。7班の研究課題はそれぞれ、「原典」、「本文批評と解釈」、「情報処理」、「古典の世界像」、「伝承と受容(世界)」、「伝承と受容(日本)」、「近現代社会と古典」であった。

欧米にもかつて例のない、このような大規模な連携研究は、古典研究者が他領域の古典学を深く知る機会を創出した。

古典研究者は古典語や研究書の現代諸語の習得、歴史・文化の知識の獲得など自立までの準備期間が長く、専門にこもりがちであり、最近半世紀に拍車がかかった専門家傾向によって同じ領域の中でさえ相互理解が困難なほどになっていた。このような状況下、「古典学の再構築」の領域を越えての交流は、研究者が情報処理技術、文献的厳密さ、解釈学的視点、日本語訳の技術などの方法論に関して大きな刺激を与えあい、また何よりも異領域の古典の宗教や文学、哲学の理念そのものを知って、各自の研究対象である古典世界を客観視することを可能としたのである。これは『論集』各論において、【連携の成果】として報告したとおりである。それは同時に、人文社会科学あるいは科学一般における、また広く現代社会における古典あるいは古典学の位置付け、役割を強く意識させるところともなった(『論集』の【位置付け】の項参照)。

各古典研究者のこのような意識変化、とりわけ古典世界への客観視座の獲得と、古典と古典学の社会的・歴史的機能の再確認は、人間研究としての人文科学の原点に、より広い視野を持って立ち戻ることを意味し、今後、古典研究の一層の深化を促すと考えられる。

「古典学の再構築」は5年の間に、9回のシンポジウム、22回の総括班会議、69回の各調整班研究会議を開催したほか、それを逐一報告するニューズレター『古典学の再構築』13号、『古典学の現在』5巻やその他のモノグラフを刊行した(詳細は本『論集』第1部に報告した)。『論集』およびニューズレターはホームページにおいて閲覧いただくことができる。アドレスは http://www.classics.jp/である。

現代は昏迷の時代といわれることがある。それは巨視的に見るならば、紀元前1千年期半ばの「軸の時代」に一斉に諸文明に現れた新思想の価値観が、科学技術の急激な進展による現代世界の変容に対して不適合を露呈しているということであろう。

「軸の時代」に創出された古典群は、その後のそれぞれの文明において新しい古典創造の素材となり、あるいは新解釈の施されて今日まで諸文明の精神基盤を形成してきた。現在必要とされることは、再度これらの古典に立ち戻り、それぞれの文明の価値観を、地球運命共同体を自覚した、地球時代にふさわしいものへと大きく衣替えさせることである。これは現代社会の変化の重要さに鑑みて、国際的連携の下で今後数十年を要する大規模な作業となるであろう。

この新しい価値観の形成は、古典学が古典に含まれる基本的価値をすべての文明に共通な座標軸に乗せて抽出し、相互参照可能な資料として提示することによって、初めて可能になると思われる。こうすることが先ず各文明の自律性を確立し、次いで文明間の相互理解を可能とするであろう。古典学によるすべての価値の再検討は、このようなプラットフォームを建設することである。

研究を終えるにあたり、特定領域研究の企画と推進に尽力いただいた多くのかたがた、ご指導と励ましをいただいた石井紫郎、池端雪浦特定領域両主査および石井米雄、大崎仁の両氏、上山春平、中根千枝、藤澤令夫、高崎直道の本特定領域評価委員、日本学術会議でご指導、ご助言いただいた吉川弘之、吉田民人、戸川芳郎、板垣雄三、土居範久、石井忠久、逸身喜一郎、辛島昇の諸氏、実行の種々の局面でお世話になった文部科学省の研究振興局学術研究助成課皆様や松川誠司氏、および宮嶌和男氏(現学術振興会)に、「古典学の再構築」に携わった研究者を代表して心から厚くお礼を申し上げる。

なお本特定領域の準備時から大きな役割を果たされた江島恵教教授(東京大学)は平成11年5月に急逝された。謝意を捧げつつご冥福を祈る。

平成15年3月末日

特定領域研究「古典学の再構築」領域代表

中谷 英明